2022.04.30

わたしは「誰一人取りのこさない文章」を書きたい!?


これらの議論は、周知のとおりミシェル・フーコーの「性の歴史」による問題提起と相似しており・・・である。

この概念は、読者もおわかりのように、ロラン・バルトが著書「零度のエクリチュール」で取り上げた・・・と同じである。





学生時代、僕は、いわゆる人文社会科学の、一部の「高尚な文章」が「嫌い」でした(全部ではない!)。誤解を避けるために申し上げると「書いてあることが嫌い / 読めない」というわけではありません。申し訳ないけれど、国語は得意なので、読めないことはありません(体育と図工は2です)。むしろ「書き方」が嫌いなのです。

いわゆる高尚な文章には、冒頭の文章のように

・「語の定義」がきちんとなされておらず

・「知っていること」が前提…

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